別にどこでも良かったんだけど、たまたまお手ごろなツアーの行き先がカンボジアだっただけ。信濃町にある「カトリック学生センター」というところが企画したイベントで、20歳前後の総勢18名+神父1名。
新宿のとある施設に集合して、事前学習。ごく一部を除いて、お互い初めて会う人ばかり。定石どおり自己紹介などした後、先週カンボジアから帰ってきたという人からスライドを交えたお話を聞いたり、引率のシェガレ神父さんから歴史の概略を聞いたり。それから、歌をいくつか練習。歌は、喜びや感謝を異文化同士で伝達するのに便利だし、長旅の辛いときに気分を変えるのにも有効だ。今回の旅行では4曲ほどをレパートリーとして楽譜を配り、みんなで一度歌ってみた。夕食には定石どおりカレーを食べて、明日寝坊したらどうしようなど定石どおりの心配をしつつ、就寝。
もそもそと起きて、もそもそと朝食。さて、出発。大久保駅から電車に乗るはずだったのが、何者かの陰謀により新大久保駅へ向かってしまい、電車に乗り遅れる。遅れを取り戻すために京成電鉄でライナー券を買うことに。前途多難を予感させる、というありがちな表現を使いたくなるかと思ったがそれほどでもない。
成田空港第2ビル駅へ到着。実は僕は海外に出るのは初めてだったりするので、空港では右も左もわからずに言われるままに手続きを済ます。登山家よろしくリュックのわきに挿してあったアルミマットは荷物預かりで引き抜かれ、以降7時間足手まといになる。\7000もする旅行保険にも念のため加入したが、僕が持っているクレジットカードに保険が付いていることは帰国後に知った。あー無駄無駄。
時差の関係で、カンボジアではまだ18:00(つまり今日は1日26時間!)。こちらでのいろいろなプランを準備してくれたオリビエ神父と出会う。彼とは今後1週間、行動を共にする。
記念すべき最初のレストランへ、バスで移動。バスを降りたところに、片足の無い物乞いが待ち構えていた。深く考えず、言われるままに無視。この問題は今後数日間頭を悩ませる。
最初の食事とあって、とりあえずはしゃいだ。隣に10人強規模の個室があり、「○○課長 おめでとう」などという日本語の横断幕が下がっていたのには何事かと思ったが、なんのことはない、ここは日本人がたくさん来る国なのである。食事は辛くも無く、食べやすい。ドラゴンフルーツなどを食して満足。
メコン川沿いの川辺。ねずみだ!白いねずみ。子供の足元を駆け回っている。おもちゃだった。子供が糸で操っていた。よく出来ている。動きが実にねずみっぽい。日本のおもちゃ屋ではみたことのないものだ(日本のおもちゃ屋はかなり見ているつもり)。よく見るとあちこちで売っている。1つ買いたかったが、ものの買い方がまだまるで分からず、とりあえず保留。
ホテルのように豪華ではない、素泊まりのような宿である。素泊まりというのを実は良く知らないのだが。欧米人や日本人がよく利用するようで、店員には英語が通じる。インターネットの端末もあった。1時間1ドル。安。
部屋にはベッドが2つ。トイレとシャワーの一緒になった部屋がついている。シーツや壁は文句無しに綺麗で、設備はシンプルだが特に困ることは無い。外は暑かったが、換気扇を回すと部屋の中はすごしやすかった。
就寝。布団は無い。明日は早い、ということなので、とりあえず寝る。
常夏なので、この時間でも外は明るいし、とおりにも結構人がいる。街はすでに目覚めている、とでも言っておこうか。朝食はフランスパンが一本。ちょっとビックリしたが、僕は日本でもよくフランスパン一本食べたりするので、それほど抵抗は無い。見た目はまったくフランスパンであったが、皮(みみ?)は僕の知っているものよりやわらかかった。フランス人が持ち込んだものが、カンボジア流に変化したらしい。味はよい。パンのほかに、両面焼きの目玉焼きと、バターとジャム、そしてTea or Coffee。このバターにはとんでもない秘密が隠されていたのだが、後ほど書く。
カンボジアの都心から排出されるごみの山の近くに集落がある。ごみの中からプラスチックを集めるとお金になるらしい。子供達も学校へ行かずに働いている。さて、これらの描写から、皆さんはどんな風景を想像するだろうか。
正直に感想を述べよう。想像していたほど悲惨な状況ではなかった。NGOによって衛生の指導がなされており、子供たちの身なりは綺麗だった。ちょうど朝食時だったが、きちんと1列に並び、自分のお皿に配給されるのを待っている。目が合えば笑うし、手をつないで一緒に歩くととても楽しそうだった。
背景はひどい。そこかしこから煙が立ち昇っている。臭いもひどい。僕は実は見なかったのだが、靴の無い子供達がガラスの破片などで怪我をしていた、と後で聞いた。子供達は実にバラエティにとんだ服を着ていた。どこかの国から送られてきた古着だろうか。
試しにマジックショーをやってみた。言葉がまったく通じないので、いまいちうまく演技が出来なかった。子供達は見ていたが、あまり反応はしない。日本でもよくあることだ。僕の手品は子供向きではないのだ。もっと子供向きで、言葉が通じなくても演じられるよう準備をしてくるべきだった、と、今更後悔。
ごみ山の子供達は12歳になるとこの学校へ来るらしい。12歳までは働く。どういうわけなのかよく分からない。どうせ勉強も労働もするならもっと早く学校へいれて、早く出てから労働すれば、などと思う。
学校などは、フランス人の援助が大きいらしい。ここも綺麗な学校だった。バレーボールやサッカーもやっている。調理を学習するための部屋もあった。
授業料は無料どころか、労働力を失う親達のために食料の援助をしているらしい。すべて外国人の援助である。間違っても国の政策ではない。この国では本当に、国は何もしていない。
日本のラーメン屋みたいな雰囲気のお店。山盛りのご飯が次々と運び込まれてきたのであわてて断った。2人一皿で充分な量。人数分出すつもりだったのだろうか。カンボジア人は大食らいなのか?
お米は日本のものと遜色ない。よく見ると細長い気がしたが、数年前に日本で大量に輸入されて不評だったタイ米のようにパラパラした感じは無い。炊き方が違うのだろうか。鶏肉、魚、牛肉、青菜などを油で炒めたおかず。感激こそしないものの、抵抗無く食べられる。
男子学生20人ほどが集団で生活しているアパートにお邪魔。彼らがこしらえた夕食をいただく。
ここでは、クメール語と呼ばれる言語が共通語である。多くの学生は僕らよりも英語に慣れているようなのだが、クメール語には濁音がない(中国語と同じ)せいで、英語の濁音がすべて落ちる。例えば、breakfastがフレックファストと聞こえる。dやgはどうにか推測がつくが、bがfになってしまうとまったく別の単語に聞こえてしまう。
輪になって、お互いに質問をし合い、ちょっとした議論をした。こちらのメンバーでクメール語が話せるのはオリビエさんだけで、彼は日本語はあまり堪能ではない。そんなわけで、向こうの学生がクメール語で話したことは一度フランス語に翻訳され、それをさらにシェガレさんが日本語に翻訳する。2回も翻訳するなんて、実に滑稽な風景だとはじめは思ったが、すぐに慣れた。
カンボジアの学生は自分の国のことをよく見ていて、国を良くしようという意欲に燃えている。質問の内容や回答から、そんな印象を受けた。
またフランスパン。すべて昨日と同じだった。ずっと同じなのかも。まあいいけど。
コンポンチャム県へバスで移動。途中で休憩のため屋台に寄る。ハスの実、とうもろこしを買って食べる。ハスの実というのは、緑色の蜂の巣に枝の生えたような外見をしていて、その断面(というかなんというか)から豆状のものをほじくりだして食べる。あまりおいしいものではない。とうもろこしも、似ているのは外見ばかりで、味はずっと淡白。歯ざわりはもちもちとしていて、これは悪くなかった。
男子寮の見学。トランプを発見。絵札が1種類しかなく、数札にはマークがないという奇妙な構成だった。これがカンボジアのトランプなのか?(後日、普通のトランプで遊んでいる人たちを発見。)
ここでも、寮生たちが集まったところでマジックショーとなった。念のため言っておくが、べつに僕がやりたがって無理にやらせてもらっているわけではない。たまたまこういう特技を持っているのが僕だけで(本当はみんな隠しているに違いない)引率者のシェガレさんはこれ幸いとばかりにコキ使いよって。いや、別に嫌ではないんですが。練習になるし。しかしですね。手品って、手品好きな人が思っているほど普通は楽しんではくれないのですよ。そのあたりを過剰に期待されているのが困るね。まあいいけど。芸人の宿命。
続いて女子寮。男子寮より綺麗だった。文化に寄らず女性のほうが一般的に綺麗好きだというのはやはり真実なのだろうか。足踏みミシンがあった。祖母が持っていたものとそっくりだった。
屋外にアンブレラのついたテーブルが並んでいて、料理がお店の中から出てくる。テーブルは、日本のアウトドアコーナーで売っているようなプラスチック製のもの。肉や野菜を油で炒めたものに、食べなれた白いご飯。辛いというわけでもなく、味はマイルドで食べやすい。
部屋よりも廊下が広いって、どういうこと?荷物を置いて、KOMPONG CHAM CITY教会へ。GERALD神父のお話を聞く。ちなみに写真はメコン川にかかる「きずな橋」。日本のODAで作られたらしい。
その後、ゴムプランテーションへ。
お坊さんのお話。20分くらい話をしてから、「女性は僧侶や柱に触れてはいけない。」とか言い出す。もう遅いっちゅうねん!先に言えっちゅうねん!
豆腐とのりのジャパニーズスープ。中華風野菜炒め。パイナップルジュース。デザートにパイナップルとライチ系のアレ。いままでで一番おいしかった。
食後にもう一度コンポンチャム教会へ行き、3グループに分かれてこの3日間の感想などをお互いに話す時間。
そして明日のために睡眠。
5人乗りくらいの小さなモーターボートでメコン川を上る。スピード感が楽しくておおはしゃぎしたが、30分もすると疲れてみんな寝始める。
仏教とヒンズー教が混じったようなのはカンボジアの各地で見られる光景だが、ここもまた象やサルの神様とか仏像とかが並んでいた。アンコール遺跡群(12世紀)よりも古いという遺跡を見た。石で出来たかまくらのようなものがあり、入り口は空いていて中が見えたが、なにやら恐ろしい雰囲気をかもし出していて、怖くて中に入れなかった。
いきなりトトロのシャツを着た子供がいた。日本から古着が回ってきたのだろう。村の神父の家に招待され、ストローの刺さったココナッツを1人1つずつご馳走になった。液体を飲んだ後、半分に割ってもらって中の実も食べた。僕は結構好き。話を聞いているうち、村人達が集まってきた。「コーヘイくん、マジックショーお願いします。」いつものパターンのシェガレさん。はーいはいはい。やらせていただきます。
日本人が来たのは初めて、という辺境の地であるが、子供たちが紙飛行機、紙鉄砲で遊んでいるのを発見。おぉ、日本文化ではないか。どっから流れてきたんだろう。
モーターボートで来た道(道か?)を戻り、昼食をとりに市街地へ。麺類を食べたいという強力なリクエストに麺嫌いのシェガレさんが負けて、ヌードル2種、チャーハン、スープ。ヌードルはかなり好評だったが、最後に出てきた炒飯が実は一番おいしかったので、やっぱり麺類はだめだ、という結論を得る。みんな買い物にも慣れてきたようで、食後にドリアン(果物の王様!)やらラカンカやらを購入して食べる。ドリアンは割った直後に逃げ惑う人々もいたようだが。僕は好きだけど?ラカンカは一般的にも好評。
不覚にも腕時計を忘れた僕もショッピングに挑戦。「これいくら?」「20ドル。」「5ドルしかないんだけど(うそだけど)。」「じゃあ5ドルでいいや。」「ふっかけすぎ。」怪しいので日本語で散々文句を言ってみた。結局5ドルで買ったけど。
バスで4時間かけてプノンペンへ帰る。だんだんここがマイホームに見えてきた。夕食まで時間があるので、BigA(日本のとは多分関係なし。)と称するスーパーマーケットへ。商品に値札がついているというのはなんと素晴らしいシステムだろう、などとしみじみしつつ、トマトジュース購入。自称野菜ジュースマニアなので、ここは研究根性を発揮して、Cambellとタイ製の2種を購入。Cambellはまあ、ある程度は信頼できる、いわば保険。そして期待のタイ製だが、全部飲めずに捨てた。値段変わらないのに。敢えてまずい方を買う客がいるのか?あ、僕か。
入り口の前にいきなり観覧車ありーの、実物大の馬の遊具ありーの。なにやら高級っぽい。しかも言わせてもらうと、エセ高級っぽい。しかも味はいまいち。しかもパイナップルですらまずい。いや、感情的なものかも。
今日はこれでお休み。ぐー。
カンボジアといえば、世界で最も地雷の多い国として有名であるが、さすがに市街地からは撤去が完了しており、僕らの旅の過程では地雷原にお目見えすることはなかった。しかしながら、国土の80%をしめる農村部では地雷の被害者は毎月60人ほどといわれている。ここは、そんな人たちに仕事を覚えさせ、自立をさせるための施設だ。現地の人たちもやはり、施しをするのは安易で近視的な解決策だという風に考えているらしい。
2000リエル(0.5ドル)で絵葉書を1枚購入。熱帯の田舎の風景の水彩画。なんだか暖かい絵だった。
午後はビーチで遊ぶ、ということでバスで移動。途中、休憩に寄った村で2人の男の子が食べ物をくれ、と寄ってきた。食べ物は持っていなかったが、デジカメを持っていたので液晶ディスプレイを見せながらシャッターを押すのを見せてやった。すぐに使い方を理解したらしいので、カメラを手渡したら、面白がって何枚も写真を撮ってくれた。この時撮ってもらった内の1枚は大変にお気に入りだ。お別れ際に、木の実を一つくれた。2本の角が生えたような形で漆塗りみたいな外見。実はあまりおいしくなかったけれど、とてもうれしかった。
昼食にはタイ系のカレーが出て、これがおいしかった。ココナッツ風味。
海に行く前に市場に寄って、水中眼鏡、シュノーケル、バドミントンラケット、バレーボールを購入。今夜宿泊することになっているKOMPONG SOM教会で荷物を降ろし、ロベルト神父のお話を30分ほど聞いてから、海へ。
カンボジアは南端に50kmくらい(推定)海岸線があるが、(どうでもいいけど、本当は海岸線の長さというのは定義できません。)ここが唯一のビーチらしい。とりあえず泳ぐ。いわゆるブイで囲ってあるようなこともないし、ライフセイバーなんてのもおそらくいない。行こうと思えばどこまでも泳いでいってしまえるが、こうなると逆に怖くてそんなに遠出はしないことにする。ひとしきり泳ぎ、浮き輪で流されて遊んだりした後、おもむろにドッヂボール大会が始まった。先ほど購入したバレーボールがえらく硬かったが、大盛り上がりで、チームを変えつつ計10ゲームくらいやっただろうか。
ときどき現地の子供が物を売りに来たりする。しかも不意打ちで日本語の単語を発したりする。耳から覚えたのだろうか。
夕食は、カニ、白身魚、ガムのような肉、えびのスープ。デザートにパイナップル。あまり印象にない。
教会に帰り、各自寝床へ。寝る前に一人トイレへ行ったところで、カエルを発見。体調6cmくらい。日本でもごくたまにこのサイズのカエルに遭遇することはあるが、色が茶色で、なかなかに素敵な眼をしていた。
この日の晩は蚊がぶんぶんとんでいてなかなか寝付けず。夜中にバドミントンしたり、昼に市場で買ったスイカを食べたり。黒い大きな犬が3匹現れたときは近年まれに見る恐怖を覚えたが、事なきをえた。聖堂のドアが開いていたので、こっそり中に入った。先日の遺跡の洞穴といい、世の中には人を不思議な気分にさせる光景というのが確かにある。時が経つのを忘れそうな感じだった。
例によってフランスパンの朝食をいただいた後、ひたすら移動。昼に一度オリビエさんの本拠地に寄って、少し話を聞いて、昼食を取って、休憩して、また移動。
そして辿り着いたのが、カンポットの村だ。またマジックショー。その後、折り紙を村の人たちに仕込もうという壮大な企画。千代紙を折って、身振り手振りで鶴などを教えた。
暗くなる頃に、村の教会でミサが執り行なわれた。電気の来ていない地域だが、バッテリーに蛍光燈を繋いであった。その後、夕食をいただいた。
夕食の後、広場に同世代の現地人たちがたくさん集まってきて、一本の蛍光燈の元、お互いに身振り手振りとつたない英語でコミュニケーションを取り合った。僕らは集まって、レパートリーの一つであるとなりのトトロオープニングテーマ「さんぽ」を歌った。拍手喝采をもらった。相手も集まってなにやら話し合いを始め、クメール語の歌を歌ってくれた。民謡のような節まわりだった。そのまま歌合戦に突入。聞いているだけじゃつまらなかろう、ということで「幸せなら手を叩こう」とか、「アブラハム7人兄弟」とかを披露して大いに盛り上がった。歌のレパートリーも切れた頃、ラジカセが鳴り始めた。歌詞はクメール語のようだが、曲はクラブミュージックのような感じだった。僕らはカンボジアのフォークダンスを習い、みんなで輪になって踊った。六本木系ダンスで対抗したりもした。
心のそこから楽しかった。散々歌って踊って疲れた頃、そろそろバッテリーが切れそうだということでお開きになったが、時計はまだ12時前だった。日本で遊んでいればこんな時刻はざらだが、朝が早く、街頭のないカンボジアではかなりの深夜に感じた。名残を惜しみながらも、疲れたのですぐに寝てしまった。
7時に起床。鶏がらスープのおかゆの朝食をいただく。これが究極においしい。朝の4時から仕込んだというので感謝感激である。それから、チマキのような、もち米の料理。中にバナナが入っていた。僕は大好きな味だったが、苦手な人もいたようだ。朝食後のわずかな時間子供たちと遊び、手を振ってお別れ。
タケオという村へ向かった。神業運転手のウンさんが狭く厳しい道をずいずい進んでいくが、あえなく脱輪。ハンター(ではなく、タヌキ)が仕掛けた罠(巣穴)にまんまとはまった。そこから徒歩。
聖堂に大学生たちがたくさん集まっていた。ミサのあと、大きな円を作って討論会。相変わらず、良い国を作る意欲満点の発言。「どんな国にしたい?理想と思う国はありますか?」と、ためしに聞いてみた。「日本です。」ぎょっとした。ふーん、そんなもんかな。
じっくり煮込んだとろとろの豚肉と煎り卵のおかずにご飯。
黒板を発見。そうだ、世界の共通語、数学の話をしてやろう、と思い立ち、ひとつ、お気に入りの問題(あるんです、そういうのが。数学好きだから。)を出してみる。ん?わからない?いや、そんなはずは。。。相手は、logが混じった方程式などを書き始めたので、高校レベルの知識はあるのだと思ったのだが、幾何はからっきし駄目みたい。どうも、我々から見ると非常に偏りのある教育課程のようだ。
村から子供たちが集まってきていた。手品を見に来た?どうしてそういうことになってるんだ。。。不可解だが、みんなかわいいので喜んでやっちゃう(子供好き)。
昼食を共にした大学生たちのうちの1人が、バドミントンの勝負を申し込んできた。まさか誰かにバドミントンをコーチしてもらえるような環境はないとおもうが、独学とは信じがたいほどうまかった。(一応勝ったけどね!)彼は、スポーツはどれも抜群にうまかった。午前の討論会でも非常に積極的に意見を述べていた。ああ、彼は天才の類の人間なんだな、と直感的に感じた。これから、何か偉業を成し遂げるかもしれない。
バレーボール。円陣パスなどやってみた。ボール硬すぎ!
また1つの別れ。道を行く牛とすれ違いざまに、ちょっとした恐怖を覚えた。大きいし。
おお、マイホーム!この安堵感はまさに我が家である。お腹すいたー。
屋台系のお店。焼餃子、水餃子、炒飯、肉料理、野菜炒め。すんごいおいしかった。お店のおばちゃんがまたお調子者で、大好評のお店だった。デザートはスイカ。
7:30に起床。ちょっと遅い朝。いつもの朝食の後にEMILE DESTOMBES司教のお話を聞きに、教会へ。文化革命による壊滅から復興への道のりが、体験を交えて語られた。カンボジアの人たちは、互いに協力して、非常に積極的に復興作業に取り組んだという。そういう民族なのだ、と言っていたが、じゃあ、なぜそんな民族になったのだろうか。と、考える。
敵を愛し、許す、という、キリスト教の哲学が、カンボジアの人たちにはどうにも受け入れがたかったそうだ。確かに、彼らの敵はあまりに残忍で、且つ、身近だった。
お話を聞いた後、時間を設けて仲間同士で語り合う。こういう時間を用意してもらえるのが、このツアーの良いところだ。機会がないとなかなか重みのある話が出来ない世代なので。
バイキング形式。果物がまずい。ケーキもなんかおかしい。僕は食べてないが。ここには後日また来る。
どうも、タイのほうでは一般的らしいのだが。。。正直言って、笑ってしまう。パチンコ屋ばりに豪華絢爛ピカピカと点滅する電飾仏像である。ここの敬虔なお坊さんが夜の新宿なんぞに来た日には、あまりの神々しさに目も開けられないに違いない。(いま突然気づいたが、「あく」と「ひらく」が同じ漢字なのは不便じゃないか?)
お坊さんの話。「忌むべきものは怒り、野心、気晴らし。」気晴らしというのが面白い。ちょっと納得。
プノンペンのマーケットへ出発!でも、かろうじて一回り雰囲気を見た程度。さすがに疲れていて、17:30にはゲストハウスに戻ってちょっとお休み。19:30に夕食へ。以前も行った、エセ高級風レストランである。
明日からはプノンペンを離れ、北部の遺跡群を回ることになっている。ずっとこちらの案内をしてくれたオリビエ神父とは今日でお別れだ。現地で生活している彼が同行してくれたことが如何に心強かったか、なんて、今更感じる。
7時にはメコン川のボート港へ到着しなければならない。既に切符も買ってある。しかし、バスが、予定の時刻になってもやってこない。どうしたんだ?え?あのウンさんが寝坊?我らの専属ドライバー、ゴッド・ハンド・ウンさんも、うっかり寝坊ということがたまにはあるらしい。よりによって今日とは!あ、来た来た!予定より15分遅れて到着。間に合うのか?!
無事に搭乗し、スピードボートが出港した。縦に長いボートで、客室は電車の1車両より一回り狭い感じ。そこに、横4列に椅子が並んでいる。天井も低く狭苦しいせいか、乗客の大半は客室を出て、屋根の上に座っている。とはいっても、屋根には高させいぜい20cmのスチールの柵がある程度で、どう考えてもそこに乗客が乗るようには設計されていない。屋根への経路に至っては柵などありはしない上、幅は50cmほどの通路である。いや、通路ではない。日本の安全基準からは想像できない光景だ。いつでも好きなときに海に落ちられる。(動画をお楽しみください。)
しかし、屋根は気持ちが良い。うとうとして、ふと気付くとサンダルが片方消えていた。良かった、サンダルで。
12:00、小さな船に乗り換え。乗り換え先が分からず、ちょっと戸惑う。
ぐんぐん進んでゆくと、ようやく左右の岸が見えるほどになる。水はにごっていて、沼地の中を進んでいるような感じだ。途中、手漕ぎのボートで移動中の小学生などとすれ違う。水上交通都市である。港が近づいてくると、生臭いにおいがきつくて、口で呼吸をしたくなった。
みんなぐったりしている。乗ってただけなのに、やけに疲れた。メニューは、レモングラスの白身魚スープ、肉炒め、炒飯、フライドポテト、ココナッツ入りカレー、パイナップル、スイカ、バナナ。果物はいまいち。カレー、ポテトが好評。ワインが冷たくておいしいと一部で絶賛。
15:00に、アンコール・パリス・ホテルという立派な名前のホテルへチェックイン。おお!ベッドだ!
かの有名な遺跡へ。時間的にも体力的にもきつめのスケジュールだが、から元気を発散させて誤魔化しつつ。
12世紀に栄華を誇ったアンコール朝の王の、お墓みたいなものだとか。ピラミッドと似たような発想だろうか。保存状況が悪く、当時の面影がほとんど残っていない上、中途半端に手を加えてあるせいか、気候のせいか、廃墟特有の美しさもなく。ただ大きく、力ずくで。細かな彫刻はいくつか美しい。高所からの外の景色はなかなか良かった。
遺跡の周囲には、いかにも観光客を目当てにした屋台やらお土産屋がいくつかならび、おそらく観光客を目当てにした子供たちがうろうろと遊んでいる。入れ替わり立ち代り、工芸品の腕輪を売りに近づいて来る。どうしようかと思ったが、言葉が通じないながらもコミュニケーションを試みると、すぐに友達になれた。輪ゴムの手品を見せた。早速真似し始めた。そう簡単に出来てたまるかっ。
19:00にアンコールパリスホテルへ帰った後、バスで市街地へ引き返す。
カシューナッツをまぶしたチキン、青菜、ココナッツカレー、和風スープ、パイン、バナナ。食事が済んだころ、出口の屋根付近に体長25cmほどの巨大なトカゲを発見。一部のメンバーがはしゃいだ。
ホテルに帰り、22:00に就寝。ばたんきゅぅ。
甘いパン、甘いケーキ、目玉焼き。チーズ。朝食というのはそういうものらしい。
8:30にホテルを出発、到着したのが、「美女の砦」と称する13世紀はじめの遺跡である。繊細で立体的な彫刻が、広大な壁面を覆っている。
一角に楽器を並べて演奏している一団を発見。
続いて訪れたのは、12世紀末期の遺跡。巨木が融合して、まさにラピュタ。スポアンという樹だそうだ。
警備員やガイドの類は基本的に存在しないので、本能の赴くままに細い通路を進んでゆく。暗い廊下を抜けて、久しく日の光を浴びたところに、裏向きの看板が立っていた。向こう側へ回って文字を読むと、「立ち入り禁止」だったりする。テレビゲームみたいな気分だ。
12時にタブロムを去ってレストランへ。もう食べ飽きた感じのコース料理。もそもそと食す。それからホテルへ帰ってお昼寝タイム。
15時にホテルを発ち、迷路のような遺跡へ。13世紀初頭のものらしい。中心にはバイヨンという寺院がある。例によって警備員の類はいない。二人組の子供をみつけ、コミュニケーションをとってるうちに、追いかけっこをする羽目に。迷宮を知り尽くしている彼らに散々おちょくられた。楽しかったけど。